夫の最後の時 4夫の最後の時 4 +++ つづけて +++ 最後の最後の時、救急車で運ばれ 救急外来のベッドに横たわった直後、 器具を取りに出はらって誰もいなくなった時、 夫の意識が一瞬もどり、静かになった。 側にいた私をみて夫が言った。 「ごめんね。」 私、「ううん、いいんだよ~。」 何がごめんねかわからない。 たぶん、夜中に何度もでごめんねってことなんだろう。 でもこれがこの世で最後の夫婦の会話になった。 その後は、医者や看護師さんたちが大勢になり、 私は待合室に行った。 ======== ICUに夫が移されて、初めて面会できたのは26日の午前8時過ぎだったと思う。 長男と一緒に面会した。 次は昼頃、長女がやってきて面会。 その次は、次男がやって来た3時頃。 夫の血圧はどんどん下がっていく。 口には人口呼吸器、 次から次へ輸血 、 血液凝固剤も昇圧剤も注入。 そして鼻にも管をつけ、そこから血液が吹き出している。 管から出た血液がバケツに溜まっていく。 枕もシーツも血まみれ。 顔や目を覆うガーゼも血まみれ。 私はかなりショックで驚き。 しかし子供たちは3人とも意外に平静でふつう。 そして子供たち全員の言ったこと。 「お母さんのほうがもっとすごかったよ。」 「はん?」←私 私の開頭手術の時のICU面会はすごかったらしい。 頭蓋骨をはずし、(脳外科手術はそうでしょう?) そのあと包帯でくるくるしたところにまだ血がついていたし、 そこから管が出ていたし、 (これも普通) 呼吸は器械がしていたし、(みたいなということで。笑) 心臓までカテーテルが何日間か入りっぱなしだった。 そんなこんなで、血まみれパパに子供たちはあまり驚かない。 26日の夕方、主治医が私たちの待合室にやってきて言った。 「血圧が下がり、多臓器不全を起こし、尿も出なくなり、今は人工透析機をベッドのところへ持ってきて使っています。 」 そして、「今夜から明朝にかけてがヤマでしょう。」 妻の私、「やれることこんなにしていただいてありがとうございます。」 と言った。 でもね~ 思ったのは、そこまでやるのかなぁって。 だって、輸血だって、やってもやっても出てゆく量のほうが多いの見てわかるし、 多臓器不全に人工透析いまさらやって、どうなるの?って。 (また)でもね~ 家族がお別れする時間を作ってくれてるのかなとも思った。 最後の時は家族そろって、 夫も安らかな顔にもどって そして見送ることができたから。 つづく 前のページ 次のページ |